SSブログ

カンブリア宮殿ニトリ社長似鳥昭雄の波乱万丈の経歴とは? [ビジネス]

th.jpgニトリ社長.jpg
ニトリという家具店の名前が社長の似鳥昭雄の名字であることに
気づいたのは最近のことです。

リーズナブルな値段でけっこう素敵な家具やキッチン用品が多いので
ちょっと遠いのですが、よく出かけていって購入しているお店です。

テレビのコマーシャルでも「おねだん以上」のキャッチフレーズがよく
放送されていますね。

そんなニトリが毎年連続増収増益をしている優秀な会社と知って、
あんなに安いのにどうして儲かるのかと知りたくなり、調べてみる
ことにしました。

Sponsored Link







◆似鳥 昭雄(にとり あきお)の経歴 
 
・1944年3月5日 父・似鳥義雄と母・光子の長男として樺太に生まれる。
        管理人と同じ年です、ニトリ社長が9か月先輩ですが。

終戦後、父(のちニトリ会長)が北海道石狩市出身だったこともあり、
札幌市に定着し、父は住宅基礎工事会社を経営。

とは言うものの、終戦後しばらく両親はヤミ米屋をしていたそうです。
父が米を調達して、母が販売するという、正規の米屋ではなく闇で売って
いたのです。

生活は楽ではなく、「ヤミ屋、ヤミ屋」とバカにされ、いじめられたとのこと。
勉強もできなかったからよけいいじめられたのかもしれません。

なにしろ飲み込みが悪い劣等生だったのです。

※これを知るとなんだか安心しますね。
勉強ができる、できないは会社経営にはあまり関係ないようです。


中学時代は、米の配達中、同級生に自転車ごと川へ突き落とされ、どろんこに
なって帰宅すると、母親に「落ちた米を拾って来い」と言われ、汚れた米を
拾って食べたという壮絶な子供時代を経験。

「なぐるのが当たり前」という父親に「米を拾って来い」と言う母親。
この両親があってこそ成長できたのではないかと思えます。


・1962年 私立北海道工業高等学校(現北海道尚志学園高)卒業
高校生の頃には父の住宅基礎工事会社もなんとかなって
手伝いをしながら高校を卒業できました。

しかし、4年生の大学は全部不合格になって結局大学は短大に入学します。
札幌には北海道大学という立派な当時国立の大学があるのに
入学できなかったのですね。

でも学問は好きだったのでしょうか。短大を卒業してから北海学園大学に
編入学しています。

・1964年 札幌短期大学卒業、北海学園大学編入

大学時代は、任侠映画にあこがれて、高倉健を真似てスナックの未払い金
取り立てなどというあぶないアルバイトをしたそうです。

刃物で切り付けられるという怖い体験もしています。
それで、度胸がついたのかもしれませんね。

当時はみんなアルバイトをしましたね。管理人はお医者さんの娘たちの
家庭教師をしましたよ。


・1966年 北海学園大学経済学部卒業

北海学園大学経済学部卒業後、父親のコンクリート会社に入社したのですが
「虫垂炎(盲腸)」を患っている中「働け」と言われ、自分の身を守るために
家出をします。

お父さん少しやり過ぎのようですね。これも子供への試練だったのでしょうか。
その後小さな広告会社に勤務するも契約が一件もとれず半年で解雇されます。

営業が苦手だったのでしょう。
その後いくつかの職についても上記同様クビになってしまいます。しかたなく
家に戻ると、「何しに帰ってきたんだ」と父親に一升瓶を投げつけれられます。

ここはお父さん偉かったと思います。ここで「よしよし」と受け入れていたら
今のニトリ社長は無かったかもしれません。

スポンサードリンク







・1967年 似鳥家具店を札幌で創業(23歳)

就職口もなく、父親にも見放されたニトリ社長は、やむなく自分でお店を創業
したのでしょう。

しかし、23歳の若さで、経験もない家具店を創業したのは何故でしょう?

調べてみると、家具店を創業したのは、札幌には家具屋が少なかった
から売れると思ったとのこと。

うーん、売れないから少なかったのかも知れませんね。
でも札幌はそれ以後発展しましたから、その考えは正しかったとも
言えるでしょう。

資本金はアルバイトで貯めた100万円だったとか。
当時の100万円は現在の1000万円に近いと思われます。

ニトリ社長と私は同じ年齢ですからわかるのですが、当時大卒の
初任給は2万円から2万5千円ぐらいでした。

100万円といえば大金です。危険なアルバイトで大金を稼いだのですね。
貧乏のつらさを知っているから学生時代からコツコツ貯金をしていたのではしょう。

さて23歳で似鳥家具店を創業したものの、営業が苦手な社長のこと
売り上げは上がらず、赤字続きで会社は火の車、自殺も考えたそうです。

しかし、そこで運命の女神に出会うのです。

・1968年 百百代さんとお見合い結婚

母親の紹介でお見合い結婚した奥様が、ニトリ社長とは全く違う営業上手だったのです。
高校時代“女番長”だった百百代さんは度胸満点で商売上手だったそうです。

奥様の百百代さんのおかげで、会社はどん底から這い上がることができたのでした。

そんな赤字会社の社長とどうして結婚する気になったのでしょうね。
何かひきつけるものがあったのでしょう。

・1972年 まだ経営が苦しい中、家具業界向けのアメリカ・ロサンゼルスへの研修セミナーに参加。

アメリカでは、部屋全体が美しくコーディネートされて、日本の1/3の値段で買えることに驚きます。
「生活の豊かさを日本にももたらしたい」と安くて良い家具を日本中に広める決意をし、家具の
チェーンストアをめざします。

この時「低価格」と「トータルコーディネート」が「ニトリ」の原型となったのです。


同年3月、似鳥家具卸センター㈱(現㈱ニトリ)を設立し、専務取締役に就任(社長は誰?)。

・1978年5月には代表取締役社長に就任します。

・1986年7月 社名を㈱ニトリに変更 
    
・1989年9月 札幌証券取引所に株式を上場
・2002年10月 東京証券取引所(市場第一部)に株式を上場
・2005年11月 秋の栄典で藍綬褒章を受章
・2007年   フランス共和国札幌名誉領事に就任
・2008年   Jリーグコンサドーレ札幌のメインスポンサーになったり、母校の北海学園大学に奨学金を
       設けたりして社会貢献活動も行っている。

     経営コンサルタントの渥美俊一を師と仰ぎ、将来、世界5万店舗を目標にしている。

関連記事>>>カンブリア宮殿ニトリ社長の理念と収入は?


スポンサードリンク








nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

nice! 0

nice!の受付は締め切りました

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。